積読,豆乳,サバイバル

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会社の飲み会が辛過ぎて虚無.会社への信仰,虚構.

会社でオンライン飲み会をしたんだけど,これがまあ非常にしんどい.オンライン関係なく,そもそも会社の人間との飲み会があまりにしんどい. お酒に強いかどうか,といった表面的な合う合わないではなく,サラリーマンに対するスタンスや他者への興味といった根本的なところからズレを感じる.相手はWindows10を使っているのに自分はiOSを使っているような,そもそもOSレベルで違ってて話にならないとまで感じる.

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会社の飲み会は苦行であり文化体験でもある.

そもそも会社の人たちとの飲み会が心底嫌いだ.個人の可処分時間を,お金を,心身の健康を奪う.下手したら仕事よりも健康に悪い.

新卒から今に至るまで同じ会社に勤めているが,一番メンタルにきた瞬間は,仕事に関して上司に詰められる瞬間よりも,会社の飲み会で場末のスナックやカラオケに連れて行かれた時だ.

社会見学として一見の価値はあったが,べろべろになったおじさんとママの掛け合いや,酒の飲み過ぎで顔色がおかしくなってるおじさんが「最近のアーティストも聴いてるんだよね」とヤバイTシャツ屋さんの曲をかけているときに,自分はどんな表情をしていればよいか心底わからない.多分,ニコニコしようと努めるけどいつの間にか顔が引きつっている.

飲み会は共通項を見つけ,それを掘り下げることを繰り返す作業に見える.あらゆる話題を聞き手に投げかけて響く話題を掘り当てる.あとは勢いが衰えるまでその話題とそれに関連する話題でキャッチボールをする.話が途切れたら「ところでさ,」とまた話題を掘り当てる作業に戻る.

これは会話をする者同士の共通項がないと成り立たない.具体的な共通項としては所属組織,出身,言語,専門性,興味関心,能力,価値観など挙げられるけどもっと卑近な例を出すと芸能,スポーツ,ライフイベント,健康,仕事の愚痴,ゴシップになる.

飲み会に出ると他人との価値観の違いを如実に感じる.例えば,退職する人が現れて,その人の転職先を聞いたとする.

話を聞いた私は「いい転職をしたな.転職先は一部上場企業で平均年収は現職より100万円以上も高く,実家に近いところで仕事ができる.一点ものの資産を独占するその会社のビジネスモデルは非常に安定的で投資家としてその会社の株を購入してもいいかもしれない.自分の労働力という資本の投資先として魅力的だと思う.いいな〜」と考える.一方,他の人のリアクションからは「○○会社??.聞いたことない会社だな.仕事の規模も小さそうだ.関東暮らしができて,やりがいがあるウチの会社を辞めるのは残念なことだ.まあ頑張れや.」という雰囲気を感じる.

もっとしょうもない話をすると「彼女はいるのか」「結婚はいつするのか」「ゴルフはしないのか」「お酒は普段飲まないのか」という話題も同じだ.

相手は「彼女を作り結婚をすることが人生に進捗をもたらす」という価値観を,「ゴルフやお酒は楽しいものだ.それに時間やお金を投じて,ひいては俺たちの遊び相手になる価値がある」という価値観を前面に押し出してくる.それらはある神を信仰の対象とするかしないかという,人間が頭の中に思い浮かべる神話,虚構でしかないのに.

価値観だけでなく,日常的に見聞きする情報にも違いを感じる.芸能,野球,流行,名作映画,あらゆる話についていけずに閉口するしかない. (私は受動的な態度や”流行っているから”という無意味な理由で,コンテンツを消費することを嫌い,自分が興味関心あることに時間を投じることに意味があるという価値観を持っているので,そういう話題に本当に疎い.これはもはや社会への適用に障害となっているんじゃないんだろうか.)

これはもはや一種の異文化交流だ.飲み会はもはや言葉,文化,慣習,価値観が異なる人同士が接点になっている.そこで興味深い議論や発見につながるなら楽しい.しかし,飲み会は大抵下品で毎度変わらない話で終始する.だからやっていられない.

「またこの価値観の押し付けか」と辟易として,ひたすらやり過ごそうとする.自分の興味関心,考えを発場しようともしない.それが場を凍らせたりするし(ここに書いているようなことをリアルタイムでも考えている),自分の趣味趣向は他人に押し付けるものでないし,押し付けるために自分がそれを好んでいるわけでもないからだ.

サラリーマンって労働力をお金に交換する手段だよね?

サラリーマンとして働くというのは単なる労働力をお金に変換する作業だと考えている.そこは安穏とした世界ではなく,殺雑とした弱肉強食,適者生存の世界であり,そこをどうサバイブするかという思想が根底にある.

だから無意味なプライベートへの干渉はするものじゃないし,そうしようとしてくる相手に対して言葉を選ぶし,そもそも相手への興味関心もあまり抱かないんだけど,この考え方自体がずれていて周囲とミスマッチを起こしている感がある.「その会社に勤めていることは自分のアイデンティティだ,会社の人たちは家族みたいなものだ.お互いの共通項を確認しあって絆を深め合うし,時には込み入った話をして熱い議論ものだ.」だと考えている人が多いように見える.

そこで「サラリーマンってざっくりいうと現代の奴隷制度みたいなもんだよ?なんでそれを認識してそこから脱却したいと思わないの?あと,なんで自分の立場が安定したものだと思ってるの?会社っていざとなった時にもたれかかれる大樹じゃないよ.根を絡ませて私たちからチューチューと栄養を吸ってると思わないの?会社への信仰って神様と一緒で一種の虚構だからね.」なんて本音を行ってしまったら,その場がお葬式みたいになるのは目に見えている.だから私はただ閉口するしかない.

「やりがいのある仕事」という幻想 (朝日新書)

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  • 作者:森博嗣
  • 発売日: 2013/05/10
  • メディア: 新書

ブラック・スワンの箴言

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